高浜虚子のお墓(4月8日が命日)
2024/04/08
高浜虚子のお墓(4月8日が命日)
高浜 虚子(たかはま きょし、旧字体:高濱 虛子、1874年〈明治7年〉2月22日 -
1959年〈昭和34年〉4月8日)は、明治・大正・昭和の日本の俳人・小説家。
本名は高浜 清(たかはま きよし、旧字体:高濱 淸)。
旧姓は池内。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。
『ホトトギス』の理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱したことでも知られます。
1910年(明治43年)、一家をあげて神奈川県鎌倉市に移住します。
以来、亡くなるまでの50年間を同地で過ごしました。
1913年(大正2年)、碧梧桐に対抗するため俳壇に復帰します。
このとき、碧梧桐の新傾向俳句との対決の決意表明とも言える句
「春風や闘志抱きて丘に立つ」を詠みます。
同年、国民新聞時代の部下であった嶋田青峰に
『ホトトギス』の編集一切を任せる旨を表明しました。
1937年(昭和12年)、芸術院会員。1940年(昭和15年)、
日本俳句作家協会(翌々年より日本文学報国会俳句部会)会長。
1941年(昭和16年)12月24日に大政翼賛会の肝いりで開催された文学者愛国大会では、
宣戦の大詔を奉読するなど時流に合わせた活動も行いました。
1944年(昭和19年)9月4日、太平洋戦争の戦火を避けて長野県小諸市に疎開し、
1947年(昭和22年)10月までの足掛け4年間を小諸で暮しました。
1954年(昭和29年)、文化勲章受章、翌55年『虚子自伝』(朝日新聞社)を刊行。
1959年(昭和34年)4月8日、脳溢血のため、鎌倉市由比ヶ浜の自宅で永眠。85歳没。
墓所は鎌倉市扇ヶ谷の寿福寺。戒名は虚子庵高吟椿寿居士。
忌日の4月8日を虚子忌、椿寿忌(ちんじゅき)といいます。
生涯に20万句を超える俳句を詠んだとされるが、
現在活字として確認出来る句数は約2万2千句です。
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