上杉鷹山のお墓(4月2日が命日)
2024/04/02
上杉鷹山のお墓(4月2日が命日)
上杉 鷹山(うえすぎ ようざん、寛延4年7月20日(1751年9月9日) -
文政5年3月11日(1822年4月2日))は、江戸時代中期の大名。出羽国米沢藩9代藩主。
山内上杉家25代当主。諱は初め勝興、後に治憲(はるのり)であり、
鷹山は藩主隠居後の号であるが、この名で知られます。
米沢藩政改革を行った江戸時代の名君として知られています。
米沢藩では宝暦の飢饉において、多数の領民が餓死、あるいは逃亡し、
宝暦3年(1753年)からの7年間に9699人の人口減少を経験しています。
鷹山の治世において起きた天明の大飢饉においては、天明3年からの7年間に
4695人の人口減少に食い止めており、鷹山の改革は実効を上げていたことがわかります。
ただし、改革のお陰で飢饉の時も餓死者が藩内から出なかったという評判は誇張です。
鷹山の推奨したウコギの垣根は、もともと直江兼続が行わせていたのを
鷹山が復活させたもので、現在でも利用されています。
若葉は苦味があるが高温の湯や油で調理して食べられます。
根の皮は五加皮という滋養強壮剤になります。
日本で最も古く公娼制度の廃止にも取り組みます。これは鷹山の愛の治世の方針に基づき、
寛政7年(1795年)公娼廃止の法令を出しました。公娼を廃止すれば欲情のはけ口がなくなり、
もっと凶悪な方法で社会の純潔が脅かされるという反論もありましたが、
鷹山は「欲情が公娼によって鎮められるならば、公娼はいくらあっても足りない。」とし、
廃止しても何の不都合も生じなかったそうです。
米沢藩を建て直した際の根本方針の精神となった自助・共助・扶助の三助を唱えたとされます。
有名な「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」
(『上杉家文書』国宝の抜粋・上杉鷹山書状。弗爲胡成(為さずんばなんぞ成らん、『書経』太甲下篇)に由来)の歌は
「伝国の辞」と共に次期藩主に伝えられました。
鷹山は山形県 米沢市 の上杉家廟所に眠ります。
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