内村鑑三のお墓(3月28日が命日)
2024/03/28
内村鑑三のお墓(3月28日が命日)
内村 鑑三(うちむら かんぞう、1861年3月23日〈万延2年2月13日〉 -
1930年〈昭和5年〉3月28日)は、日本のキリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者。
福音主義信仰と時事社会批判に基づく日本独自のいわゆる無教会主義を唱えました。
『代表的日本人』の著者。
大正11年(1922年)10月世界伝道協賛会を創設して、世界の伝道事業に貢献する組織を作りました。
協賛会は毎月一回開かれて、世界の伝道のために祈り、献金が捧げられました。
そして、同年暮れには、中国、台湾、南洋諸島の伝道を援助するために送金されます。
大正12年(1923年)7月7日に、自分の後継者と期待していた元弟子の有島武郎が、
人妻の波多野秋子と心中した。これを聞いた内村は『萬朝報』に
「背教者としての有島武郎氏」という文章を載せます。
死の原因を「コスミック・ソロー(宇宙の苦悶)」であるとのべ、激しい怒りを表明しました。
同年9月1日の関東大震災では長野県沓掛に滞在中で震災を逃れたが、2日に帰京しました。
内村の家族には被害がありませんでしたが、かれが心血を注いで福音を語った
「霊的戦闘のアリーナ」であった衛生会講堂を失った。
昭和5年(1930年)1月20日に、柏木の聖書講堂で「パウロの武士道」について述べたのが
公の場に出た最後。3月26日の内村の古希感謝祝賀会には本人は出席できず、長男祐之が挨拶しました。
3月27日、心臓発作を起こして病状が急変、3月28日朝に
「非常に調和がとれて居るがこれでよいのか」
との言葉を最後に昏睡状態に陥り、午前8時51分に家族に見守られて死去。
3月30日、聖書研究会約500名により会員葬が営まれました。
4月6日に内村の遺言により、内村聖書研究会は解散式を行い、
「聖書之研究」は第357号をもって廃刊になりました。
東京都・多摩霊園に眠ります。
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