古尾谷雅人のお墓(3月25日が命日)
2024/03/25
古尾谷雅人のお墓(3月25日が命日)
古尾谷 雅人(ふるおや まさと、1957年5月14日 - 2003年3月25日)は、
昭和から平成初期の日本の俳優。本名は古尾谷 康雅(ふるおや やすまさ)。
神奈川県川崎市中原区出身。身長188cm。
正木ルーム(有限会社ビッグアンドエム内で設けられた芸能事務所)に所属。
妻は女優の鹿沼えり。息子の古尾谷雅人 (2代目)(旧芸名:髙藤疾土)、
娘の水野快令も同じく役者。
一般作進出は、1979年のフジテレビドラマ『二人だけの儀式』ですが、
本格的進出は1980年の映画『ヒポクラテスたち』(監督・大森一樹)。
作品・古尾谷はじめ主要キャスト全員の演技力の高さが評判となっただけでなく、
本作で共演して以来、斉藤洋介・内藤剛志と生涯の親友となります。
さらに1983年の日本テレビドラマ『若草学園物語』で主役の教師役をつとめ、
その主題歌「見上げるだけの人間のようで」でバップから歌手デビューも果たすなど、
一躍脚光を浴びます。
松田優作を敬愛、尊敬しており、松田自身からも目を掛けられていた。
映画『丑三つの村』で主人公・犬丸継男を演じた時には、
熱を入れて役づくりに励み、殺戮(さつりく)シーンの撮影が終わって帰宅するたびに家族に
「今日は何人殺してきたぞ〜!」と嬉々として語っていたそうです。
また、『北の国から'87初恋』でわずか1シーンだけの出演ながら、
ぶっきらぼうながら心優しいトラック運転手役を演じたり、
『金田一少年の事件簿』の剣持勇警部役、『六番目の小夜子』では山田孝之演じる
秋の父親役として出演したりするなど、日常性に立脚した役柄でも実績を築き、
次第に名脇役と評価され始めます。
古尾谷自身は、斉藤や内藤らと違い、ほとんどバラエティに出ないことで知られ、
ドラマや映画での撮影時には常に自分に厳しく取り組んでいました。
しかし、過去には『笑っていいとも!』のコーナー「テレフォンショッキング」では
数回ゲスト出演しており、1999年4月8日にフジテレビ系列で放送された
『たけし・さんまの有名人の集まる店』では高島礼子と共に出演、トークを繰り広げました。
2003年3月25日、東京都文京区の自宅で首つり自殺を図り死去。45歳没。
晩年は事務所兼自宅マンションの住宅ローンや、
1年前に亡くなった父の遺産相続をめぐって継母との民事裁判を抱えていました。
3月27日に営まれた通夜では斉藤洋介、竹中直人、阿藤快、大杉漣、ともさかりえ、
KinKi Kidsの堂本剛、TOKIOの松岡昌宏、映画監督の大森一樹ら約600人が参列。
特に斉藤は通夜、告別式では号泣し、
映画『ヒポクラテスたち』で共演した阿藤は
「ハリウッドで映画をやらせてあげたかった。無念でならない」
と悔しさを訴え、1991年の映画『ご挨拶』で共演した桃井かおりは
「大きな悩みがあったと思うけど… きっかけさえあればだれだって死ねる。
でも死んじゃダメ。長生きすることが勝ちなんだと思わないと。」
と、沈痛な表情でインタビューに答え、突然の死を悼んだ。
崇高な性格俳優である古尾谷雅人は
埼玉県川口市の墓所・ヒルズ川口に眠ります。合掌=
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