井伊 直弼のお墓(3月24日が命日)
2024/03/24
井伊 直弼のお墓(3月24日が命日)
井伊 直弼(いい なおすけ)は、江戸時代後期から幕末の譜代大名。
近江彦根藩の第16代藩主。
幕末期の江戸幕府にて大老を務め、開国派として日米修好通商条約に調印し、
日本の開国・近代化を断行しました。
また、強権をもって国内の反対勢力を粛清したが(安政の大獄)、
それらの反動を受けて暗殺された(桜田門外の変)。
幼名は鉄之介(てつのすけ)、後に鉄三郎(てつさぶろう)。
諱は直弼(なおすけ)。
雅号には、埋木舎(うもれぎのや)、柳王舎(やぎわのや)、
柳和舎(やぎわのや)、緑舎(みどりのや)、宗観(そうかん)、
無根水(むねみ、異体字:无根水)があります。
大獄を行って以降は井伊の赤鬼(いいのあかおに)の渾名でも呼ばれた。
安政7年3月3日(1860年3月24日)5ツ半(午前9時)、
直弼を乗せた駕籠は雪の中を、外桜田の藩邸を出て江戸城に向かいます。
供廻りの徒士、足軽、草履取りなど60余名の行列が
桜田門外の杵築藩邸の門前を通り過ぎようとしていた時、
関鉄之介を中心とする水戸脱藩浪士17名と薩摩藩士・有村次左衛門の
計18名による襲撃を受けました。
最初に短銃で撃たれて重傷を負った直弼は駕籠から動けず、
供回りの一部は狼狽して遁走し、駕籠を守ろうとした
彦根藩士たちの多くは、折から降り始めた雪を避けるために
鞘に取り付けていた柄袋に邪魔をされ、
抜刀する間も無く刺客たちに切り伏せられます。
刺客は駕籠に何度も刀を突き刺した後、
瀕死の直弼を駕籠から引きずり出し、首を刎ねた。享年46(満44歳没)。
この事件を桜田門外の変と呼びます。
直弼は東京都世田谷区の豪徳寺に眠ります。
なお戒名「宗観院柳暁覚翁」は生前の直弼が考えていたものです。
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