夢野 久作のお墓(3月11日が命日)
2024/03/11
夢野 久作のお墓(3月11日が命日)
夢野 久作(ゆめの きゅうさく 1889年(明治22年)1月4日 -
1936年(昭和11年)3月11日)は、日本の小説家。陸軍少尉、禅僧、新聞記者、
郵便局長という経歴も持ちます。幼名は直樹、
出家名は杉山泰道(すぎやまやすみち)、
禅僧としての名は雲水(うんすい)、号は萠圓、柳号は三八。
三大奇書の一つ『ドグラ・マグラ』をはじめ、田舎の風土を醸したホラー、
怪奇幻想の色濃い作風で名高いです。詩や短歌に長け
『白髪小僧』中の神話、『猟奇歌』のなどに代表されます。
絵もよくし、初期には『九州日報』で童話や今でいう一コマ漫画を描きました。
父は政界の黒幕と呼ばれた玄洋社の杉山茂丸。
長男はインド緑化の父と言われる杉山龍丸。三男は詩人の杉山参緑。
「夢野久作と杉山三代研究会」の杉山満丸は孫。
1936年(昭和11年)3月11日脳溢血で死亡、享年47。
1926年(大正15年)、5月11日の日記に
「終日精神生理学の原稿を書く」とあるように、
『ドグラ・マグラ』の原型となるものの執筆が始まりましたが
構想などはより以前からあったと考えられます。
同年3月16日には日本で初めて切絵を使った童話
『ルルとミミ』を九州日報夕刊に発表します。
さらに同年には九州日報社が経営困難となり、
東京で父、頭山満、内田良平らと共に資金集めに奔走します。
同年5月上浣「あやかしの鼓」を雑誌『新青年』の懸賞に発表して
同率二等に入選し、文壇入りを果たします。
「夢野久作」の筆名は、息子の作品を読んだ父茂丸が
「夢野久作の書いたごたる小説じゃねー」と評したことから、
それをそのまま筆名としたものです。
「夢野久作」とは昔の博多の方言で
「人の考えないようなことを言う人」のことだそうです。
以後、本格的に『新青年』や『ぷろふいる』などの
雑誌に投稿するようになり、童話は書かなくなる。
1930年(昭和5年)5月1日に福岡市黒門三等郵便局長を拝命。
1933年(昭和8年)『新青年』に『氷の涯』を発表。
1934年、「骸骨の黒穂」を『オール讀物』に発表。
構想、執筆に10年以上をかけた代表作『ドグラ・マグラ』が、
1935年(昭和10年)1月に松柏館書店から刊行され、
出版記念会が東京(1月26日)と福岡(5月4日)で催されました。
同年7月19日、父杉山茂丸が脳溢血のため、東京麹町三年町の自宅で死去。
翌1936年3月11日朝、渋谷区南平台町の自宅で死去。
死後は父と同じ墓、福岡市の一行寺に葬られ、
久作自身が生前刻んだ墓標があります。戒名は悟真院吟園泰道居士。
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