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岸田國士のお墓(3月5日が命日)

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岸田國士のお墓(3月5日が命日)

岸田國士のお墓(3月5日が命日)

2024/03/05

岸田國士のお墓(3月5日が命日)

 

岸田 國士(きしだ くにお、1890年(明治23年)11月2日 -
 1954年(昭和29年)3月5日)は、日本の劇作家・小説家・
評論家・翻訳家・演出家。
代表作に、戯曲『チロルの秋』(1924年)、『牛山ホテル』(1929年)、
小説『暖流』(1943年)、『双面神』(1953年)など。
妹の勝伸枝は作家、本名は延原克子で翻訳家・延原謙の妻。
長女は童話作家の岸田衿子、次女は女優の岸田今日子、甥に俳優の岸田森がいます。
映画脚本『ゼンマイの戯れ』(1926年)もあります。

 

文学への思い止み難く、父の勘当を受けながらも軍籍を離れ、
28歳で東京帝国大学文科大学に選科生として入学します。
フランス文学や近代演劇を学び、鈴木信太郎・辰野隆・
豊島与志雄・関根秀雄らと親交をむすびました。
著名な訳書はジュール・ルナール『にんじん』、『博物誌』、
『ぶどう畑のぶどう作り』などで、今日でも重版されています。

 

仏領インドシナを経由してパリに遊学、
ジャック・コポーが主宰する小劇場ヴィユ・コロンビエ座などに出入りし、
当時フランスで盛んになっていた演劇純粋化運動に接していましたが、
1922年の父の死去により、翌年帰国します。
1932年新設された明治大学文芸科教授となります。
1937年に顧問を務めていた築地座を解消し、
新たに文学座を岩田豊雄・久保田万太郎らと創設。

 

1940年から1942年まで大政翼賛会文化部長を務め、
太平洋戦争後の1947年にGHQにより公職追放となります。

1954年、文学座の上演『どん底』(原作マクシム・ゴーリキー)の演出に携わりますが、
3月、舞台稽古中に脳卒中に襲われ病院に運ばれたが翌日死去。63歳没。

東京・多摩霊園に眠ります。合掌=

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