源義仲/木曽義仲のお墓(3月4日が命日)
2024/03/04
源義仲/木曽義仲のお墓(3月4日が命日)
源 義仲 (みなもと の よしなか)は、平安時代末期の信濃源氏の武将。
河内源氏の一族、源義賢の次男。源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたります。
木曾 義仲(きそ よしなか)の名でも知られる。
『平家物語』においては朝日将軍(あさひしょうぐん、旭将軍とも)と呼ばれます。
以仁王の令旨によって挙兵、都から逃れたその遺児を北陸宮として擁護し、
倶利伽羅峠の戦いで平氏の大軍を破って入京します。
連年の飢饉と荒廃した都の治安回復を期待されましたが、
治安の回復の遅れと大軍が都に居座ったことによる食糧事情の悪化、
皇位継承への介入などにより後白河法皇と不和となります。
法住寺合戦に及んで法皇と後鳥羽天皇を幽閉して征東大将軍(征夷大将軍とも)となりますが、
源頼朝が送った源範頼・義経の軍勢により、粟津の戦いで討たれた。31歳。
義仲の墓所は、室町時代に没地近くに開かれた
朝日山義仲寺(滋賀県大津市馬場)にあります。
義仲寺は江戸時代の俳人・松尾芭蕉の墓があることでも有名な寺です。
芭蕉はかねがね義仲の生涯に思いを寄せ、
生前から義仲の隣に葬って欲しいと言っていました。
芭蕉は江戸在住でしたが、大阪の句会に出席したときに
亡くなったので、弟子が義仲寺に運んだそうです。
京都市東山区の法観寺には、首塚があります。
義仲の首は京都でさらし首にされました。
後に、法観寺の近くに埋葬されていた。これを移したものです。
長野県木曽町日義の徳音寺には義仲の霊廟と、
上段に義仲を、一段下に樋口兼光、巴御前、
小枝御前、今井四郎の墓が建立されています。
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