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斎藤茂吉のお墓(2月25日が命日)

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斎藤茂吉のお墓(2月25日が命日)

斎藤茂吉のお墓(2月25日が命日)

2024/02/25

斎藤茂吉のお墓(2月25日が命日)

 

斎藤 茂吉(さいとう もきち、1882年〈明治15年〉5月14日 - 
1953年〈昭和28年〉2月25日)は、日本の歌人・精神科医。
伊藤左千夫門下。
大正から昭和前期にかけて活躍したアララギの中心人物。
日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。
精神科医として、青山脳病院
(現在の東京都立梅ヶ丘病院や斎藤病院)の院長を務めました。
長男は精神科医で随筆家の斎藤茂太、
次男は精神科医・随筆家・小説家の北杜夫、孫は随筆家の斎藤由香。

 

中学時代、佐佐木信綱の『歌の栞』を読んで短歌の世界に入り、
友人たちの勧めで創作を開始します。
高校時代に正岡子規の歌集を読んでいたく感動、
歌人を志し、左千夫に弟子入りしました。
精神科医としても活躍し、ドイツ、オーストリア留学や
青山脳病院院長の職に励む傍ら旺盛な創作活動を行いました。
また、文才に優れ、柿本人麻呂、源実朝らの研究書や、
『ドナウ源流行』『念珠集』『童馬山房夜話』などのすぐれた随筆も残しており、
その才能は宇野浩二、芥川龍之介に高く評価されました。
芥川が一番小説を書かせたいのは誰かと聞かれた際には、
即座に茂吉の名を出したそうです。

 

1923年、ミュンヘン留学中には長年憧れの対象であった
エミール・クレペリンの臨床講義を聴きに行った際に握手を求めたところ、
他の東南アジアの留学生とはにこやかに握手をしたにもかかわらず、
握手を拒否され(西丸四方は、大戦での敵国であった日本への
遺恨が取らせた反応と推理しています)、
その無念の思いを歌と随筆に残しています。

 

太平洋戦争中の創作活動は積極的に戦争協力していました。

生涯に全17冊の歌集を発表し、全17,907首の歌を詠みました。
ただし、あくまでも精神科医を本来の生業とする姿勢は崩さず、
「歌は業余のすさび」と称していました。
しかし、息子の北杜夫は「心の九割は歌に、文学に打ち込んでいたと思う。」とし、
茂吉の性格上、臨床医は合わず
口説療法を主とする診察は苦手であったと評しています。

 

<東京・青山墓地に眠る>
斎藤茂吉のお墓は青山墓地にあります。

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