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山下 奉文のお墓(2月23日が命日)

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山下 奉文のお墓(2月23日が命日)

山下 奉文のお墓(2月23日が命日)

2024/02/23

山下 奉文のお墓(2月23日が命日)

 

山下 奉文(やました ともゆき、1885年(明治18年)11月8日 -
 1946年(昭和21年)2月23日)は、日本の陸軍軍人。
最終階級は陸軍大将、位階勲等は従三位勲一等功三級。
高知県出身。
陸士18期・陸大28期恩賜。
太平洋戦争の劈頭、第25軍司令官として
イギリス領マレーとシンガポールを攻略した武功、
「マレーの虎」の異名で知られます。

 

山下は執行日の前日となる1946年2月22日の午後11時30分に
死刑囚監房につれていかれたが、世話役のラドマン中佐から
執行時間が早朝6時と聞くとその1時間前に起こしてほしいと頼みます。
明けて翌1946年の2月23日早朝5時に、
ラドマンが約束通りに山下を起こしに行くと、
山下はぐっすりと眠っていたため、ラドマンは遠慮して起こすのを止めます。
やがてその20分後に山下は自ら起きたが、
時計を見た後に起こしてくれなかったラドマンに抗議をしたそうです。

 

山下はマッカーサーの命令通り、帝国陸軍大将としての軍服
および一切の勲章も着用しないまま、
米軍のカーキーシャツとズボン、緑色の作業服姿に着替えると、
日本人教誨師の言葉を聞いて黙禱し、
その後は取り乱すこともなく執行前の手続きをこなしていきます。

 

執行の1分前にラドマンが執行人を連れてやってきて、
山下に素早く目隠しして、手首に手錠をかけますが、
山下は執行人をリラックスさせるためか「少し手錠が固い」と冗談を言います。

その後、東京の方を向いて深々と礼をすると、
躊躇することなく絞首台の方に歩いて行き、絞首刑に処されました。享年60。

 

<山下の墓所は東京・多摩霊園に>
他のBC級戦犯とともに英霊として靖国神社に合祀されています。
また埼玉県さいたま市西区の青葉園には、
山下奉文を祭った「青葉神社」があり、境内には戦争記念館があります。

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