アンディ・ウォーホルのお墓(2月22日が命日)
2024/02/22
アンディ・ウォーホルのお墓(2月22日が命日)
アンディ・ウォーホル(Andy Warhol、1928年8月6日 -
1987年2月22日)は、アメリカの画家・版画家・芸術家で
ポップアートの旗手。
本名はアンドリュー・ウォーホラ(Andrew Warhola)。
銀髪のカツラをトレードマークとし、
ロックバンドのプロデュースや
映画制作なども手掛けたマルチ・アーティスト。
1964年(36歳)からはニューヨークにファクトリー
(The Factory、工場の意) と呼ばれるスタジオを構えます。
ファクトリーはアルミフォイルと銀色の絵具で覆われた空間であり、
あたかも工場で大量生産するかのように
作品を制作することをイメージして造られました。
彼はここでアート・ワーカー(art worker; 芸術労働者の意)を雇い、
シルクスクリーンプリント、靴、映画などの作品を制作します。
ファクトリーはミック・ジャガー(ローリング・ストーンズ)、
ルー・リード(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)、
トルーマン・カポーティ(作家)、イーディー・セジウィック(モデル)など
アーティストの集まる場となります。
1965年(37歳)、「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」
(The Velvet Underground; 以下 V.U. と略) の
デビューアルバムのプロデュースを行います。
ウォーホルは V.U. の演奏を聴き共作を申し込み、
女優兼モデルのニコを引き合わせ加入させます。
1967年3月発売の彼らのデビュー作
『The Velvet Underground & Nico』
(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ)では、
プロデュースとジャケットデザインを手掛けます。
シルクスクリーンによる「バナナ」を描いた
レコードジャケットは有名となりました。
前衛的音楽のためアルバムはあまり売れませんでしたが、
後に再評価された。ウォーホルは V.U. の楽曲を
映画のサウンドトラックとしても用いました。
セカンドアルバム制作の頃にはウォーホルとの関係も終わります。
彼らとの関係は、映画『ルー・リード: ロックン・ロール・ハート 』に描かれます。
1987年2月17日、
ニューヨーク・マンハッタンのクラブ「トンネル」で行われた、
佐藤孝信の「アーストン・ボラージュ」のショーにモデルとして
マイルス・デイヴィスとともに参加。
しかし直前に体調を悪くしイタリアから帰国したばかりで、
これが最後の人前に出た姿となりました。
2月21日、ニューヨークのコーネル医療センターで
胆嚢手術を受けるも翌22日、容態が急変し
心臓発作で死去。58歳。生涯独身でした。
<ペンシルバニアの共同墓地に眠る>
アメリカ合衆国 ペンシルベニア州 ベセル・パーク セントの
カトリック共同墓地に埋葬されています。
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