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マルティン・ルターのお墓(2月18日が命日)

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マルティン・ルターのお墓(2月18日が命日)

マルティン・ルターのお墓(2月18日が命日)

2024/02/18

マルティン・ルターのお墓(2月18日が命日)

 

マルティン・ルター(Martin Luther 、1483年11月10日 - 1546年2月18日)は、
ドイツの神学者、教授、聖職者、作曲家。聖アウグスチノ修道会に属します。
1517年に『95ヶ条の論題』をヴィッテンベルクの教会に掲出したことを発端に、
ローマ・カトリック教会から分離しプロテスタントが誕生した宗教改革の中心人物です。

ルターは生涯を通して様々な病気に悩まされていました。 
少年・青年時代では、1497年(14歳)にチフスとみられる熱病に罹患し、
1503年(20歳)には短剣で太腿に傷を負い、
感染症を併発して治療が長引いたそうです。

 

 1505年(22歳)から始まったヴィッテンベルクにおける修道院生活では
睡眠不足や極度の緊張から生じる頭痛や耳鳴りに悩まされ、
特に耳鳴りはその後もしばしば起こるようになりました。 
1516年(33歳)にはヴィッテンベルクにもペストが拡大。
ルターはペストの感染性を理解していなかったが、
罹患はしませんでした。

 

枢機卿カエタヌスの審問に応じるために
アウグスブルクへと向かっていた頃(1518年10月)には便秘に苦しんでいたルター。
精神的症状もしばしばルターを襲っており、
修道院時代に突然の意識消失を伴う痙攣発作を起こしたことがあり、
てんかんではないかとする説もありますが、ルターにはてんかんの遺伝的素質が無く、
またこの一例以降同様の発作が無かったためにこの説を否定する動きもあります。

 

また、ヴァルトブルク城に身柄を隠匿され聖書翻訳に取り組んでいた頃には、
極度の孤独感と翻訳作業という精神的疲労がルターを精神的に不安定にさせ、
一過性の幻視や幻聴が起こり、これがよく知られる
「インク瓶の投げつけ」のエピソードにつながったのではないかとする説もあります。

 

1525年に42歳でカタリナ・フォン・ボラと結婚してからは、
カタリナの手料理を喜んで食べることによって体重が増えます。
またその後も、尿管結石[26]や狭心症、幾度の心臓発作、痔疾、
礼拝説教を中断せざるを得ないほどのめまい、下肢の潰瘍、痛風、尿閉に苦しめられ、
冠動脈硬化症による心筋梗塞が直接の死因となりました。

活動に取り組みながら、ルターは終生ヴィッテンベルク大学における聖書講義を続けました。

 

宗教史と思想史、さらには文化史に大きな足跡を残したマルティン・ルターは、
1546年2月18日に生まれ故郷のアイスレーベンでこの世を去り、
同年2月22日にヴィッテンベルク城教会内に埋葬されました。62歳。


<ドイツ・ルターシュタルトの教会内に眠る>
墓所はドイツ ルターシュタット・ヴィッテンベルク All Saints' Church, Wittenberg教会内。
ちなみに隣には同僚で友人のフィリップ・メランヒトンの墓があります。

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