牧野富太郎のお墓(1月18日が命日)
2024/01/18
牧野富太郎のお墓(1月18日が命日)
牧野富太郎(1862-1957)は、日本の植物学者。
高知県高岡郡佐川町(現:高知県佐川町)出身。位階は従三位。
「日本の植物学の父」といわれ、多数の新種を発見し、
命名も行った近代植物分類学の権威です。
その研究成果は50万点もの標本や観察記録、
そして『牧野日本植物図鑑』に代表される
多数の著作として残っています。
牧野富太郎は、1862年4月24日に
高知県高岡郡佐川町(現:高知県佐川町)で、
近隣から「佐川の岸屋」と呼ばれた商家(雑貨業)と
酒造業を営む裕福な家に生まれました。
幼少のころから植物に興味を示していたと伝わります。
元は「成太郎」という名でしたが、
3歳で父を、5歳で母を、6歳で祖父を亡くした頃、
「富太郎」に改名しています。
その後は祖母に育てられます。
10歳より土居謙護の教える寺子屋へ通い、
11歳になると義校である名教館(めいこうかん)に入り
儒学者伊藤蘭林(1815-1895)に学びます。
漢学だけではなく、福沢諭吉の『世界国尽』、
川本幸民の『気海観瀾広義』などを通じ
西洋流の地理・天文・物理を学びます。
1879年(明治12年)、17歳の時に上京し、東京大学理学部に入学。
植物学を専攻し、1884年(明治17年)に卒業。
卒業後は、東京大学理学部助手に任命されます。
1888年(明治21年)に、牧野富太郎は
『日本植物志図篇』の刊行を開始。
この本は、日本の植物を系統的に分類して図示した画期的な著作であり、
牧野富太郎の名を日本中に知らしめました。
1893年(明治26年)に、牧野富太郎は
東京帝国大学理科大学教授に任命されます。
その後も、植物の分類研究に没頭し、多数の新種を発見・命名しました。
1940年(昭和15年)、牧野富太郎は78歳で『牧野日本植物図鑑』を刊行。
この本は、日本の植物を網羅した大著であり、
現在でも植物学の研究者や愛好家にとって必携の書となっています。
1957年(昭和32年)、死去。その功績により、従三位を追贈されています。
<お墓は東京都台東区のお寺に>
東京都台東区谷中にある天台宗の寺、天王寺(てんのうじ)。
江戸時代には「江戸の三富」と呼ばれた
富くじを発行する寺として隆盛した名刹ですが、
天王寺墓地には、有名人の墓も多数あります。
そのひとつが「日本の植物学の父」といわれれる
牧野富太郎のお墓です。
----------------------------------------------------------------------
ゆぎおす
東京都稲城市平尾1-45-2
サイレントパーク15-203
電話番号 : 090-3502-5199
FAX番号 : 050-3131-0416
稲城市でお墓参り代行サービス
----------------------------------------------------------------------