井沢八郎のお墓(1月17日が命日)
2024/01/17
井沢八郎のお墓(1月17日が命日)
井沢 八郎(いざわ はちろう、本名:工藤 金一(くどう きんいち)、
1937年〈昭和12年〉3月18日 -
2007年〈平成19年〉1月17日)は、日本の演歌歌手。
青森県弘前市出身。
女優の工藤夕貴と元俳優でクラブDJの工藤正貴は実子。
2番目の妻は声優の青羽美代子。
<若者たちへの応援歌『あゝ上野駅』>
1937年(昭和12年)、青森県弘前市に生まれます。
本名は、工藤 金一。
中学生の頃から歌唱力に定評があり、中学2年の時には
地元のキャバレーで歌手としてステージに立っていました。
卒業後、歌手を目指して上京。バンドマンとしてベースを弾きながら、
作曲家の大沢浄二に師事。1963年(昭和38年)、
東芝音楽工業より「男船」でレコードデビューを果たします。
翌年、「あゝ上野駅」が当時“金の卵”と呼ばれた
集団就職の若者たちに愛唱されて大ヒット。
伸びやかでハイトーンを特徴とする歌声で、
人気歌手の仲間入りを果たしました。
その後、「男傘」「北海の満月」とヒットを飛ばし、
1965年(昭和40年)には「NHK紅白歌合戦」にも初出場しました。
私生活では、料亭経営者の令嬢と結婚。一男一女を授かり、
長女は1983年(昭和58年)に工藤夕貴の名で芸能界デビューをしました。
しかし、娘のデビューと同じ年に交通違反の不出頭、
1985年(昭和60年)にデートクラブで16歳の女性を買春しての淫行、
結婚前に生まれた隠し子の発覚などスキャンダルが相次ぎ、
芸能活動ができなくなってしまいます。
こうしたことから夫人と不和になっていき、
1989年(平成元年)に離婚。その後、縁があり交際を続けてきた
15歳年下の声優・青羽美代子と1994年(平成6年)に再婚します。
晩年も精力的に歌手活動を続けてきましたが、
2005年(平成17年)秋頃に体調不良を訴え入院。
検査の結果、食道がんが見つかり手術を受けますが、
翌年5月にはがんがリンパ節に転移。同年秋に再入院し、
治療に努めたものの、2007年(平成19年)1月17日午後11時18分、
食道癌のため上野の永寿総合病院にて死去。享年69。
<集団就職の若者たちの思いを・・>
昭和39年、世は高度成長期で東海道新幹線の開通や
東京オリンピックの開催などで湧きかえっていました。
そんな当時の日本を支えていたのが、
地方から集団就職で都会にやって来た若者たち。
「金の卵」と持て囃された若者たちは、
希望と不安を抱えながら長距離列車に揺られ、
東京の地に足を踏み入れたのです。
中でも、上野駅は東北から上京するときの玄関であり、
「集団就職」や「出稼ぎ」の象徴の駅でもありました。
1964年、井沢八郎が歌った『あゝ上野駅』が発売され、
以来、東北出身者を中心に多くの人に愛され続け、
人生の応援歌として人々に元気を与えました。
井沢八郎は亡くなる直前までテレビに出演し、
当時と変わらぬハイトーンの美声で『あゝ上野駅』を歌い続けました。
<東京都の八王子道玄霊園にお墓>
69年という、やや短い生涯を閉じた井沢八郎の墓は、
東京都八王子市の八王子道玄霊園にあります。
墓には「Global Family 生も歓喜 死も歓喜」とあり、右側に墓誌が建ちます。
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