大屋政子のお墓(1月16日が命日)
2024/01/16
大屋政子のお墓(1月16日が命日)
大屋 政子(おおや まさこ、1920年(大正9年)10月27日 -
1999年(平成11年)1月16日)は、日本の歌手、実業家、タレント、作家。
旧姓は森田。元帝人社長大屋晋三の妻。
実父は元衆議院議員の森田政義。
大阪音楽学校を本科2年で中退後、
コロムビア・レコードから歌手としてデビューし、
戦後にテイチクへ移籍します。
戦時中は軍属歌手として活動。戦後、クラブ歌手となりました。
当時、現職大臣であった大屋晋三と不倫の末、1950年に略奪婚。
帝人の経営に介入します。
1976年には、週刊朝日に連載された江森陽弘による聞き書きが
『帝人の大屋政子社長夫人はダンプ型外交官といわれる
ものすごい肝っ玉トップレディー』(二見書房)にまとめられました。
大阪を代表する資産家の一人となり、総資産は300億円と言われました。
大阪の高級住宅地・帝塚山に、3階建・700坪の大邸宅を構えます。
<派手な衣装と高い声>
高い声と年齢に合わないピンク色を基調とした派手な衣装を好み、
高齢になってもなおミニスカートを愛用する等、
日本国内では“色物タレント”として認知される傾向が強かったですが、
フランスのフランソワ・ミッテラン大統領と電話したり、
元日の『平成あっぱれテレビ』に出演した際に
宮澤喜一のことを「喜一ちゃん」と呼んで電話を掛けたり出来る
(ただしその時は宮澤は不在で繋がらなかった)ほどで、
世界的には有名な“セレブ”でした。
オードリー・ヘプバーン、ミッテラン大統領夫人などの
有名人やVIPと会い、ツーショット写真を撮影もできた大屋政子。
高い声や派手な衣装は女性単身でビジネスを行うにあたり、
社会に埋没しないため意識的に行ったものであり、
地声はテレビで聞く声よりも低かったそうです。
ロッド・スチュワートを敬愛し、大阪公演の際には、
フェスティバルホール内にロッド・スチュワート鑑賞のための
特別控え室まで用意したほどです。
その部屋はロッド・スチュワートの楽屋よりも広かったと言われます。
舞台芸術振興財団理事長などの要職を歴任。
バレエにも造詣を持ち「大屋政子バレエ教室」を主宰し、
「大屋政子バレエ財団」を設立するなど、
文化的活動にも積極的に動きました。
日本ヨハン・シュトラウス協会の設立にも尽力した。
<晩年の大屋政子>
晩年は信頼していた側近2人に裏切られ、
経営していたゴルフ場の工事の不正発注などにより
約2億円を騙し取られます。
以後、人間不信になってしまったそうです。
さらにそのゴルフ場で約100億円の簿外負債が発覚。
借金返済のために所有していた財産の多くを売り払い、
最終的に資産は数億円にまで減ってしまいます。
<お墓は大阪市住吉区のお寺に>
1999年、胃がんのため78歳で死去。
政子の入院中の看病をしたのは絶縁関係にあった一人娘の登史子で、
死の直前に親子の和解が成った。
日蓮宗の熱心な信者で、
墓所は縁の深かった大阪市東住吉区中野の「法得寺」にあります。
政子の死後、生前住んでいた大邸宅は解体され、
跡地は現在老人ホーム「マサコーヌ帝塚山」となっています。
施設名は政子にちなんだものであり、
登史子が運営法人の理事長となって経営しています。合掌=
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