アガサ・クリスティのお墓(1月12日が命日)
2024/01/12
アガサ・クリスティのお墓(1月12日が命日)
アガサ・メアリ・クラリッサ・クリスティ
(Dame Agatha Mary Clarissa Christie、DBE、旧姓:ミラー(Miller)、
1890年9月15日 - 1976年1月12日)は、イギリスの推理作家。
66冊の探偵小説と14冊の短編集で知られ、
発表された小説の多くは世界的なベストセラーとなり
「ミステリーの女王」と呼ばれました。
特に架空の探偵エルキュール・ポアロと
ミス・マープルを主人公とする小説で有名です。
映画化もよくされていますね。
メアリ・ウェストマコット(Mary Westmacott)名義の小説が6作品ある。
1971年、大英勲章第2位(DBE)に叙され「デイム・アガサ」となります。
英国推理作家のクラブであるディテクションクラブの第4代会長。
ユネスコのインデックス・トランスラチオヌムによると、最も翻訳された作家です。
小説『そして誰もいなくなった』は、約1億部を売り上げ、
史上最も売れた本の一つです。
戯曲『ねずみとり』は、演劇史上最長のロングラン記録を持っています。
1952年11月25日にウエストエンドのアンバサダー・シアターで開幕し、
2018年9月までに27,500回以上上演された。
日本語表記は「クリスティ」と「クリスティー」があります。
父の破産と病死(1901年11月 死因は肺炎と腎臓病)、
自身の結婚と離婚など様々な出来事を乗り越えながらも、
アガサは小説家として執筆活動を続けていきました。
1909年、自身初の長編小説『砂漠の雪』を書き、
作家イーデン・フィルポッツの指導を受けます。
私生活では1914年にアーチボルド・クリスティ大尉(1889年 - 1962年)と結婚し、
1919年に娘ロザリンド・ヒックス(英語版)(1919年 - 2004年)を出産します。
第一次世界大戦中には薬剤師の助手として勤務し、そこで毒薬の知識を得ました。
度々登場する「毒薬トリック」の元ですね。
1920年、数々の出版社で不採用にされたのち、
ようやく『スタイルズ荘の怪事件』を出版し、
ミステリー作家としてデビューします。
1926年に発表した『アクロイド殺し』における大胆なトリックと
意外な真犯人を巡って、フェアかアンフェアかの大論争が
ミステリ・ファンの間で起き、一躍有名となりました。
<墓所はイギリス・チョルシーのセント・メアリ教会墓地に>
1976年1月12日、静養先のイギリス、ウォリングフォードの自宅で、
高齢のため風邪をこじらせ死去(満85歳没)。
死後『スリーピング・マーダー』が発表されました。
遺骸は、イギリスのチョルシーにあるセント・メアリ教会の墓地に
埋葬されます。合掌=
----------------------------------------------------------------------
ゆぎおす
東京都稲城市平尾1-45-2
サイレントパーク15-203
電話番号 : 090-3502-5199
FAX番号 : 050-3131-0416
稲城市でお墓参り代行サービス
----------------------------------------------------------------------