親鸞のお墓(1月9日が命日)
2024/01/09
親鸞のお墓(1月9日が命日)
親鸞(しんらん、英語: Shinran、承安3年4月1日 - 弘長2年11月28日 は、
鎌倉時代前半から中期にかけての日本の仏教家です。
親鸞聖人と称され、鎌倉仏教の一つ、浄土真宗の宗祖とされます。
法然を師と仰いでからの生涯に亘り、
「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え」を継承し、
さらに高めて行く事に力を注ぎました。
自らが開宗する意志は無かったと考えられます。
独自の寺院を持つ事はせず、
各地に簡素な念仏道場を設けて教化する形をとります。
親鸞聖人は、29歳の時、比叡山の仏教と決別し、
道を求めて聖徳太子ゆかりの六角堂に籠こもられました。
そして、95日目の暁あかつき、聖徳太子の夢告むこくにみちびかれて、
法然上人のもとをたずねられます。
法然上人は、だれに対しても平等に
「ただ念仏もうしなさい」と説いていました。
親鸞聖人は、この教えこそ、すべての人に開かれている仏道であるとし、
法然上人を生涯の師と仰ぎ、念仏者として歩み出します。
法然上人のもとで、親鸞聖人は約6年間過ごします。
その間に、法然上人から主著
『選択本願念仏集(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)』の
書写と真影(しんねい=法然上人の肖像画)の製作を許します。
また、恵信尼公(えしんにこう)と出遇い、結婚したのもこの頃とされます。
親鸞聖人は、60歳ごろ関東から京都に戻ったいわれています。
その後、関東では念仏の受けとめをめぐって、
さまざまな混乱や対立が起こりました。そのなかで、
誤った教えを広めた長男の慈信房善鸞(じしんぼうぜんらん)と
親子の縁を切るという悲しい出来事もありましたが、
親鸞聖人は、『教行信証』を書きすすめるとともに、
念仏の教えを伝え続けました。
1262(弘長2)年11月28日、親鸞聖人は90年の生涯を終えました。
末娘の覚信尼公(かくしんにこう)ら家族や門弟たちが、
死を看取り、葬儀を行ったといいます。
遺骨は、大谷(現在の京都市東山区)に埋葬され、
後に小さな廟堂(びょうどう)が建てられます。
そこに、関東をはじめとする門弟たちが在りし日の
親鸞聖人とその教えをしのんで参拝し、聞法に励みました。
その歴史が、現在の東本願寺の御影堂(ごえいどう)へと
脈々と受け継がれています。
親鸞の祥月命日には、宗祖に対する報恩感謝のため
「報恩講」と呼ばれる法要が営まれています。
<親鸞のお墓>
京都府・京都市の大谷本廟です
大谷本廟は、京都市東山区にある
浄土真宗本願寺派の本山の本願寺が所有する墓地です。
浄土真宗の宗祖・親鸞の墓所。通称は「西大谷」。
大谷本廟は、「日野誕生院」「角坊」とともに
「宗教法人 本願寺」が所有する飛地境内です。
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