ガリレオのお墓(1月8日が命日)
2024/01/08
ガリレオのお墓(1月8日が命日)
ガリレオ・ガリレイ(伊: Galileo Galilei、
ユリウス暦1564年2月15日 - グレゴリオ暦1642年1月8日)は、
イタリアの自然哲学者、天文学者、数学者。
近代科学的な手法を樹立するのに多大な貢献をし、
しばしば「近代科学の父」と呼ばれます。
また天文学分野での貢献を称えて「天文学の父」とも呼ばれます。
最初は医学をピサ大学で学んだが、
ユークリッドやアルキメデスの本を読むうちに
数学や力学へと関心が移ります。
そのうち学資不足となり、大学を途中で去った ものの、
比重や重心の研究などで頭角を現し、
1589年~1591年にはピサ大学の数学講師、
1592年~1610年にはパドヴァ大学の数学(および天文学などの)
教授として勤務しました。
物理学(自然学)分野では、「振り子の等時性」に関する研究や
「斜面上をころがる物体の運動」に関する理論などを出発点として
1604年頃には落体(らくたい。鉛直方向に落下する物体)の
運動法則の数学的定式化を完成させます。
自然現象に対して、数学的手法および思考実験を用いて迫り、
(仮説を)実験によって検証するというガリレオの方法は、
(当時はまだ存在していなかった)「科学」の方法を
新たに確立するのに大きく貢献するものでした。
天文学分野では、みずから改良した
ガリレオ式望遠鏡を使って木星の衛星、
月面の凹凸(=クレーター)、太陽の黒点などを発見し、
『星界の報告』(Sidereus Nuncius、1610年刊行)を著します。
イタリアでは特に偉大な人物を姓ではなく名(いわゆるファーストネーム)
で呼ぶ習慣があります。
(ほかにも、ダンテ・アリギエーリ、レオナルド(ダ・ヴィンチ)、
ミケランジェロ、ラファエロ、
ナポレオン(イタリア系フランス人)など)ため、
名を使って「ガリレオ」と呼称されることが多いです。
欧州ではオランダ、ドイツ、スカンジナビアではGalilei、
フランスではGaliléeとファミリーネームで呼ばれているますが、
ほとんどの国ではファーストネームで呼ばれます。
ガリレオの父は音響学の分野ではすでに
数学的な手法を大いに取り入れていましたが、
息子のガリレオは、物体の運動の研究をするときに
(父にならって)実験結果を数的(数学的)に
記述し分析するという手法を採用しました。
このことが現代の自然科学の領域で高く評価されています。
ガリレオ以前にはこのように運動を数的に研究する手法は
ヨーロッパにはなかったと考えられています。
さらにガリレオは、
天文の問題や物理の問題について考えるときに
アリストテレスの説や教会が支持する説など、
既存の理論体系や多数派が信じている説に盲目的に従うのではなく、
自分自身で実験を行って実際に起こる現象を
自分の眼で確かめるという方法をとりました。
それらにより現代では「科学の父」と呼ばれています。
<ガリレオのお墓はイタリア・フィレンツェに>
1642年1月8日、弟子たちに看取られつつガリレオは、
長い戦いの後の静かな眠りにつきました。
かの「それでも地球は動く」の逸話は、
たしかに彼の不撓不屈の魂のありようをシンボリックに捉えています。
永眠の地はフィレンツェ。
その自由で開放的な空気をガリレオは心から愛しました。
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