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ストロング小林の命日(12月31日が命日)

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ストロング小林の命日(12月31日が命日)

ストロング小林の命日(12月31日が命日)

2023/12/31

ストロング小林の命日(12月31日が命日)

ストロング小林
(ストロングこばやし / Strong Kobayashi、
1940年12月25日 - 2021年12月31日)は、
日本の元プロレスラー、タレント。
本名および旧リングネームは小林 省三(こばやし しょうぞう)。
現役選手時代はパワーファイターとして活躍し、
1970年代前半の国際プロレスではエースを務め、
新日本プロレス移籍後もメインイベンターの一角を担いました。


アメリカのマット界においても、
AWAやWWWF(現:WWE)などの
メジャーテリトリーにおいて実績を残しています。
セミリタイア後は俳優・タレントに転身。
1982年の映画『伊賀忍法帖』出演をきっかけに、
ストロング金剛(ストロングこんごう)の芸名で活動。
2003年からは再びストロング小林の芸名で活動していました。

 

小林さんは、1940年12月25日に東京・本郷生まれ。
戦時中に青梅市に疎開し、同市で育ちます。
高校卒業後に国鉄(現在のJRグループ)に入社し
南武線の稲城長沼駅へ勤務しました。(我が家の近所です!!)
25歳の時にボディビル会場でスカウトされ国際プロレスに入門。
67年7月27日に日本人初の覆面レスラー「覆面太郎」としてデビュー。
日本人初の覆面レスラーはストロング小林だったのです!
  
その後、素顔となりリングネームを
「ストロング小林」と変えてからは、欧州、米国のマットを席巻。
国際プロレスのトップレスラーとして活躍。
1971年6月にはIWA世界王座を奪取し
名実共に国際プロレスを支えるスターレスラーとなりました。  
1974年2月には新日本プロレスに引き抜かれ、
3月19日には蔵前国技館で当時、
禁断とされていた団体の枠を越えた日本人対決となる
アントニオ猪木戦を実現させファンを熱狂させます。
75年5月には新日本プロレスに入団し、
坂口征二とのタッグで北米タッグ王座を獲得するなど
トップレスラーとして新日本のリングで戦いました。
81年秋から腰痛を悪化させ長期欠場に入り、
84年8月26日に東京・福生市体育館で現役を引退しました。

 

関係者によると小林さんは、

4年前から腰椎損傷で下半身が動かなくなり
東京都青梅市内の特別養護老人ホームで1週間のうち4日間、
3日間を青梅市内の自宅で生活をしていました。
今夏からはすべてを老人ホームで暮らすようになりましたが
11月には肺を患い青梅市内の病院に入院。
12月30日に容体が急変し、家族に見守られながら、
31日朝に息を引き取ります。

2021年12月31日午前7時21分、
東京・青梅市内の病院でのう肺のため亡くなりました。81歳。   

 

<ストロング小林の必殺技>
小林さんの繰り出す技と言えば、パワー殺法が多く、定番はベアハッグ、
ハイアングル・アトミックドロップ、
パワーで引っこ抜くブレーンバスター、相手の首を掴んでのネックブリーカー、
そしてカナディアンやシュミット流のバックブリーカーなどです。
痛そう〜〜

<トップ日本人レスラーの戦いの影響>
国際プロレス離脱→新日本プロレス参戦という事件は、
その後の日本プロレス史に大きな影響を及ぼしました。
1974年3月のアントニオ猪木対ストロング小林戦は
力道山対木村政彦戦以来の
日本人トップレスラー同士の対戦となり、
東京スポーツ認定プロレス大賞「ベストバウト賞」の
第1回受賞試合ともなりました。
また、日本人と外国人の戦いが主流だった

当時の日本のプロレス界において、
日本人同士の試合が興行の目玉になり得ることを示しました。
まさに新時代をこじ開けたのです。

 

試合会場である蔵前国技館は

16,500人の超満員札止めだったため、
入場が出来なかった観客からは
「せっかく地方から来たんだ。
立見でいいから1、2万円払うんで入れてくれよ」と
入口で押し問答した観客もいたといい、
新日本プロレスのフロント・新間寿の証言によると、
当日券を求める客に対してスタッフは辺りにあったポスターを破いて
「1000円」と書いてチケット代わりにして対処したそうです。
熱気が伝わってきますね。
試合当日は、蔵前駅から蔵前国技館までの行列が途絶える事がなかった他、
収容人数を上回る観客が入った事から、
蔵前国技館の水道管が破裂したり、蔵前警察署から厳重注意されたそうです。

 

<元新日本プロレスフロント・新間寿の言葉>
「会場には入りきらないくらいのお客さんが詰めかけ、
そして試合もすごかった。
この猪木対小林こそ昭和の新日本プロレスを代表する
ベストバウトになったと思ってますよ。
ボクはこの試合こそが、猪木さんの最高の試合だと思う。
小林さんはいろんな人と闘ったけれども、
ストロング小林の力を引き出し、
ストロング小林のいいところを出させたというところで、
アントニオ猪木というのは天才だと思った。
ボクの生涯で最高の試合は、やっぱり猪木対小林ですよ」

 

<葬儀は青梅市で>
葬儀・告別式は年が明けた
2022年1月9日に青梅市民斎場で行われ、
新間寿らが参列しました。
法名は「金剛院釋誓省」。

 

<ストロング小林展が開催>
2023年12月には青梅市内の西友・河辺店内の市民ホールにて、
「ストロング小林展実行委員会」により
「ストロング小林展」が開催され、

新日本プロレス設立20周年記念大会の
エキシビション・マッチにて着用した、
唯一手元に残っていたWWWFに遠征した際に

着用していた田子作タイツや、
覆面太郎時代のマスク等貴重な品々が展示されました。

*今回どうしても小林さんのお墓の場所がわかりませんでした。
が、ストロング小林さんのことを書きたく筆を進めました。
ご了承ください=

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