田宮二郎のお墓(12月28日が命日)
2023/12/28
田宮二郎のお墓(12月28日が命日)
田宮 二郎
(たみや じろう、1935年〈昭和10年〉8月25日 - 1978年〈昭和53年〉12月28日)は、
日本の俳優・司会者。
1960年代から1970年代にかけて俳優として活躍、
代表作は映画『悪名』シリーズ、映画『白い巨塔』、
テレビドラマ『高原へいらっしゃい』など。
ほかにクイズ番組『クイズタイムショック』の司会としても長らく親しまれました
(1969年1月9日 - 1978年9月28日)。
<名作『白い巨塔』のウラで>
ドラマ『白い巨塔』の放映が残り2話となっていた
1978年(昭和53年)12月28日の午前中、
南青山のマンションに住む田宮の妻幸子から連絡を受けた田宮の付き人は、
体調を崩した幸子の母親を病院に連れて行き、
その後港区元麻布の田宮邸に戻ってから、そのことを田宮に報告します。
生前の田宮の最期の言葉は、昼近くに付き人が聞いた
「お腹が空いた」と言う言葉でした。
付き人は田宮のために赤坂の洋食店で弁当を買い、
梅干しを載せたお盆を持って2階に上がり、
寝室の前で声を掛けたが応答がなかったといいます。
しばらくしてドアを開けると田宮はベッドの上に仰向けで横たわり、
米国パックマイヤー社製の上下2連式クレー射撃用散弾銃で
自殺を遂げていました。43歳でした。
前年3月から躁鬱病で治療を受けており、過去3回
「こうやれば死ねるんだ」と言って妻の前で猟銃自殺の真似をしたことがあり、
9月の帰国直後妻に「もう死にたい」と漏らしていたことから
警察はその動機を仕事の行き詰まりや病気を苦にしたものと推定したのです。
全く惜しいことをしました。。
田宮二郎の自殺は、大きな衝撃をもって報道されました。
田宮も映画化された際に出演した小説『華麗なる一族』(山崎豊子原作)において
万俵鉄平が猟銃自殺をする場面があり、原作者の山崎は田宮の死を電話で知るとすぐに
「猟銃でしょう」と悟ったそうです。
この報道渦中での放映となったドラマ『白い巨塔』残り2話は
皮肉にもさらなる注目を浴びることとなり、
視聴率は上昇して最終話は31.4%を記録。
結果多くの人々の記憶に残り、視聴率的にも大成功を収めることとなりました。
<俳優、そして『タイムショック』>
俳優としてはクールでアクの強い役を演じることが多かったが、
『クイズタイムショック』をはじめとするテレビ番組の司会では、
明るく軽妙で親しみやすいトーク、なおかつ理知的な司会ぶりが
多くの視聴者から支持されました。
特に『タイムショック』では、番組冒頭とクイズ出題の際の決め台詞
「ターイムショック!!」とカメラを指さすポーズが広く知られ、
収録では極度の緊張状態にある一般出場者にリラックスしてクイズに臨んでもらえるよう、
司会者として常に細やかな気配りと思いやりを忘れなかったそうです。嬉しいですね=
<俳優が司会者を務める好例になる>
『クイズタイムショック』での田宮の司会ぶりは好例として、
その後のクイズ番組の司会に俳優が起用されるきっかけになったとも言われています。
TBS系『8時だョ!全員集合』(1977年2月26日・第361回放送分)で、
学校を舞台としたコントにおいて頭がいい生徒役としてゲスト出演をした際、
いかりや長介に『クイズタイムショック』風で「英語で25は?」「フランス語で25は?」
「ロシア語で25は?」「中国語で25は?」「スペイン語で25は?」と
『タイムショック』ばりに連続して出題された問題に次々と正解しました。
さらに、「ターイムショック!!」という決めセリフを発したり、
志村けんの「○○いかがっすかぁ〜」のネタを用いて、
志村と共に「タイムショックいかがですかぁ〜」のギャグを披露したりと、
タイムショックを意識したネタを連発しました。
クールな田宮さんがやるので面白いんでしょうね。
<墓所は京都の法然院に>
戒名は「清光院法誉顕映究吾居士」。墓地の所在は柴田家代々の墓地。
生まれ故郷である京都の法然院にあります。合掌=
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