三船敏郎のお墓(12月24日が命日)
2023/12/24
三船敏郎のお墓(12月24日が命日)
三船 敏郎(みふね としろう、
1920年〈大正9年〉4月1日 - 1997年〈平成9年〉12月24日)は、
日本の俳優・映画監督・映画プロデューサー。
本名は同じ三船敏郎。
第二次世界大戦後の日本映画を代表する俳優のひとりで、
黒澤明監督作品への出演で知られます。
国際的にも知名度が高く、1960年代以降は日本国外の映画にも出演しました。
1961年と1965年にはヴェネツィア国際映画祭で男優賞を受賞。
<クロサワ映画で飛躍>
昭和21年東宝第1期ニューフェースで入社、翌年「銀嶺の果て」でデビュー。
黒澤明監督の「酔いどれ天使」に主演、
以後「羅生門」「七人の侍」など黒沢作品に連続出演し、
16年間で出演しなかった黒澤映画は『生きる』1作のみ。
ヴェネツィア国際映画祭男優賞を2度受賞し、
「世界のクロサワ」の黒澤明と共に「世界のミフネ」と呼ばれました。
米映画「グラン、プリ」、70mm「太平洋の地獄HellinthePacific」、
仏映画「レッド、サン」など海外作品出演も多数。
昭和37年には三船プロを設立。
「将軍」などの外国映画にも出演しました。
1968年(昭和43年)には、三船プロダクションと石原プロモーションの合同制作の映画
『黒部の太陽』に主演。1969年(昭和44年)、監督に稲垣浩を迎えて、
中村錦之助、石原裕次郎らとともに映画『風林火山』を作ります。
この2作品はそれぞれ、その年の日本映画の興行成績1位となっています。
晩年は脇役を演じる事が多くなり、山田洋次監督の『男はつらいよ 知床旅情』(1987年)で
頑固者の老獣医師を演じてブルーリボン賞助演男優賞を受賞したほか、
市川崑監督の『竹取物語』(1987年)で竹の造翁、
熊井啓監督の『千利休 本覺坊遺文』(1989年)で千利休を演じました。
1990年代に入ると体調がすぐれないことが多くなり、
晩年は軽度のアルツハイマー型認知症を発症していたといわれ、
1995年にに公開された『深い河』が最後の出演作となりました。
平成9年12月24日に全機能不全のため死去。77歳。
生前の意向で葬儀は執り行われず、1ヶ月後の1998年1月24日
に三船プロ・黒澤プロ・東宝の合同葬という形で青山葬儀所でお別れの会が営まれました。
祭壇は黒澤映画の美術監督として有名な村木与四郎がデザインし、
黒澤明監督作品『蜘蛛巣城』をイメージした背景に、
三船が演じた鷲津武時の兜を飾ったものになっていました。
お別れの会には谷口千吉、岡本喜八、熊井啓、堀川弘通、千秋実、香川京子、
八千草薫、久我美子、三橋達也、中野良子、竜雷太、松岡功、岡田茂ら約1800人が参列したほか、
スティーヴン・スピルバーグ、アラン・ドロン、チャールトン・ヘストン、マーロン・ブランドら
世界各国の映画人から弔電が寄せられました。
当時患っていた黒澤明は参列できず、代わりに三船の長男・史郎が託された弔文を読み上げました。
私は『酔いどれ天使』の病に侵されたヤクザ役が鮮烈でしたね。
『用心棒』もハラハラドキドキでした。大好きな一本です。
<墓所は川崎市・春秋苑に>
神奈川県川崎市多摩区の春秋苑にあります。合掌=
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