伊丹十三のお墓(12月20日が命日)
2023/12/20
伊丹十三のお墓(12月20日が命日)
伊丹 十三(いたみ じゅうぞう、1933年〈昭和8年〉5月15日 - 1997年〈平成9年〉12月20日)は、
日本の映画監督、俳優、エッセイスト、雑誌編集長、商業デザイナー、イラストレーター、
CMクリエイター、ドキュメンタリー映像作家。
料理通としても知られます。
大ヒット映画作品を連発した映画監督です。
監督デビューは51歳と遅咲きだったが、それまでに表現手段を追究する職を多数経験し、
その集大成として映画に挑戦し、ヒットメーカーとなりました。
伊丹さんの作品、好きですね〜
1984年の監督デビュー作である『お葬式』からいきなり数々の映画賞を獲得するなど絶賛を浴びました。
その後、『タンポポ』『マルサの女』『マルサの女2』『あげまん』『ミンボーの女』『大病人』
『スーパーの女』『マルタイの女』などを演出し、いずれも大ヒットを記録します。
しかも一般観客からも映画評論家からも、ともに高く評価されていました。
俳優としての出演も数十作品に及び、1983年(昭和58年)公開の『家族ゲーム』『細雪』の
演技でキネマ旬報助演男優賞を受賞。
エッセイストとしての代表作には『ヨーロッパ退屈日記』『女たちよ!』『小説より奇なり』など。
CM出演も多数あります。
妻の宮本信子は、伊丹の監督デビュー後は伊丹作品の多数で主演女優として作品のヒットに貢献し、
それ以前から家庭でも多面的にその成功に貢献しつづけていました。二人の間の長男の池内万作も俳優となりました。
愛媛県松山市に伊丹十三記念館が開設され、多方面にわたる才能を持ち容易に語ることはできない
伊丹の足跡が紹介されています。また伊丹を記念してその名を冠した
「伊丹十三賞」がさまざまな表現者たちに贈られています。
周防正行は『マルサの女』のメイキング映像を撮影してくれと依頼され、
それを撮影することにより伊丹の映画製作現場や監督業をつぶさに観察する機会を得たことで、
自身も映画監督となるきっかけをつかみ、伊丹同様に日本映画界を盛り上げてゆく存在となりました。
1997年12月20日、伊丹プロダクションのある東京都港区麻布台3丁目のマンション南側下の駐車場で、
飛び降りたとみられる遺体となって発見されます。
葬儀は故人の遺志により執り行われませんでした。当初からその経緯について様々な説が飛び交いました。
<突然の死>
かつて『ミンボーの女』公開後に襲撃事件があったことから、
当初から暴力団の関与を疑う声はあったようです。
ただ、事務所にワープロ印字の遺書らしきものが残されていて、そこに「身をもって潔白を証明します。
なんにもなかったというのはこれ以外の方法では立証できないのです。」との文言があったことから、
写真週刊誌によりSMクラブ通いや不倫疑惑が取り沙汰されたことに対する抗議の自殺か、
とも推測されるようになりました。
だが、伊丹はレタリングデザイナーとして日本有数と自負する存在であり、
書き文字には人一倍の愛着とこだわりを持っていたことから、
遺書が手書きでなくワープロで打たれていた点が不自然とされます。
また死の直前に『FLASH』の記者から不倫疑惑について問われた際、伊丹は笑いながら
「妻に聞いてみればいいよ」「(不倫疑惑は)いつものことだから」と軽口で答え、
その様子が『FLASH』誌面に掲載されていました。
また死の5日前まで医療廃棄物問題の取材も続けていた伊丹。
「飛び降り自殺」はまさにその直後のことであり(インタビュー、『FLASH』発売直後)、
自殺直前の様子との不自然さから、その「自殺」には強い疑惑が持たれ続けています。
<伊丹十三のお墓>
故人の記念館に程近い、愛媛県伊予郡砥部町にある東向山理生院にあります。合掌=
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