力道山のお墓(12月15日が命日)
2023/12/15
力道山のお墓(12月15日が命日)
力道山(りきどうざん、本名:百田 光浩(ももた みつひろ)
出生名:金 信洛(きん しんらく、朝: 김신락)
1924年〈大正13年〉11月14日 - 1963年〈昭和38年〉12月15日)は、日本の男性プロレスラーの祖であり、元力士です。
血液型AB型。
力道山は、日本統治時代の朝鮮・咸鏡南道洪原郡新豊里で出生しました。
旧姓は金信洛(きんしんらく、김신락)で、二所ノ関部屋に入門し、昭和15年に初土俵を踏み、
その後、優勝争いに絡むまでの活躍しますが、昭和25年に廃業します。
百田氏の長男となって百田光浩(ももたみつひろ)を名乗って、新田建設に勤務しますが、
その際、ナイトクラブで知り合ったハワイ出身の日系人レスラーのハロルド坂田(トシ東郷)と知り合い意気投合。
ハワイでプロレスの猛特訓を受け、帰国後、日本プロレスを設立します。これが現在の日本のプロレス界の土台となるのです。
昭和29年、シャープ兄弟(兄のベン・シャープ、弟のマイク・シャープの兄弟で1951年、世界タッグ選手権王座獲得)を招聘し、
全国を14連戦した初興行は、昭和28年のテレビ放送の開始、街頭テレビの登場を背景に大ブームを巻き起こします。
日本テレビとNHKが同時中継し、新橋駅西口広場の街頭テレビには2万人の群衆が殺到したとか・・。
『空手チョップ』を武器に、間違いなく子どもたちのヒーローでしたが、
昭和38年12月8日、赤坂のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」での喧嘩がもとで、腹部を刺され、
12月15日、化膿性腹膜炎で死去。
墓所は、自宅近くの池上本門寺と、百田家の故郷である長崎県大村市の長安寺で、戒名は、大光院力道日源居士。
<豪快だった力道山>
例えば、飲みに行ってはビールのコップをそのままバリバリと食べ、
周囲の人を驚かすのを得意芸にしていたといいます!
また、当時、日本に3台しかなかったというガルウィングドアと世界初のガソリン直噴エンジンを搭載した
メルセデスベンツ300SLを乗り回し、白バイを見つけると逆にスピードを上げ、追ってくる白バイを挑発。
ようやく追いついた警官が、運転しているのが力道山だと知ると
「あんまり無理をしないでください」
と一礼して退散したという、現在では考えられないような逸話も残しています。
そんな力道山の死に際のエピソードもまた彼のヒーロー譚の一つ。
力道山は赤坂のナイトクラブで暴漢に刺された傷がもとで亡くなりますが、
一説によると、手術後に飲水すら制限された安静状態であったにも関わらず、付き人に酒と寿司を買いに行かせ、
見舞客の前で豪快にそれらを飲食したために体調が急変しての死だったとも言われています。
<戦後のヒーロー・力道山>
ご存知の通り、敗戦によって打ちひしがれた日本人の前に登場した力道山は、
アメリカ仕込みのプロレスという新しい格闘技のヒーローとして登場しました。
自分よりも一回りも二回りも大きな外国人レスラーを空手チョップでなぎ倒し、当時の日本人の気持ちを一気に熱狂させました。
当時、新橋駅前の街頭テレビの前には2万人もの人が群がったという逸話も残す、
まさに戦後日本を代表するスーパースターでした。
<力道山のお墓>
そんな力道山の墓は、東京都大田区にある池上本門寺にあります。
墓の脇にある腕組みをした力道山の銅像は、
死してなおヒーローであろうとする力道山の意志を雄弁に物語っています。合掌=
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