安岡正篤のお墓(12月13日が命日)
2023/12/13
安岡正篤のお墓(12月13日が命日)
安岡 正篤(やすおか まさひろ、1898年〈明治31年〉2月13日 - 1983年〈昭和58年〉12月13日)は、
日本の易学者、哲学者、思想家です。
金鶏学院の開学、国維会、師友会の創立など、日本主義の立場から保守派の長老として戦前戦後にわたって活躍しました。
1949年(昭和24年)、「師友会」(後の全国師友協会)を結成。
機関紙『師友』(後に『師と友』と改称)の発行による次代の指導者の育成や、全国各地を巡っての講演、
更にはラジオによる講話などを通じた東洋古典思想の普及活動を行いました。
1951年(昭和26年)吉田茂総理と対談。政財界とのパイプは保ち続け、
自民党政治家のアドバイザーとして主に東洋宰相学、帝王学を説き、
彼らの「精神的指導者」「陰の御意見番」「首相指南役」の位置にあったといいます。
1954年(昭和29年)6月1日を期して師友会を「全国師友協会」と改め、
ここでの活動を中心に陽明学を基礎とした東洋思想の普及に努めます。
1958年(昭和33年)には岸信介らとともに「新日本協議会」を結成、
安保改定運動や改憲運動などに関わりました。
東洋古典の研究と人材育成に尽力する一方で、
「体制派右翼」の長老としても政財官界に影響力を持ち続けた安岡さん。
全国師友協会は遺言もあって解散しましたが、
各地域の支部がそれぞれ独立した団体として活動を続け、その思想を継承しています。
1983年(昭和58年)12月13日逝去。享年85。
葬儀は1984年(昭和59年)1月25日に青山葬儀所で、葬儀委員長に岸信介、同副委員長に稲山嘉寛・大槻文平・田中秀雄、
委員に新井正明・江戸英雄・平岩外四によって執行されました。
政界からは当時の中曽根首相を始め、田中・福田・鈴木の各歴代首相以外にも、中華民国の馬樹礼(後の初代駐日中華民国代表。在日台湾大使)、
韓国の朴泰俊等の外国人高官が参列しました。会葬者は2千有余利あったそうです。そうそうたる顔ぶれです。
<お墓は染井霊園>
安岡正篤さんのお墓は、東京都豊島区駒込にある都営染井霊園にあります。
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